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福岡地方裁判所 昭和60年(ワ)2519号 判決

原告 甲野太郎

被告 乙山春夫

右訴訟代理人弁護士 高山俊吉

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一月八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、福岡高等裁判所昭和五五年(う)第三八七号殺人等被告事件の被告人であり、同裁判所から言い渡された右事件の判決を全面的に不服として、現在最高裁判所に上告中の者である。

(二) 被告は、成蹊大学機械工学科教授であって、右原告の刑事事件につき福岡高等裁判所から鑑定を委嘱された者である。

2(一)  被告は、昭和五七年一一月一五日福岡高等裁判所に鑑定書を提出し、また、その後同裁判所で右鑑定に関連する証言をした。(以下「本件鑑定等」という。)

(二) 被告は、本件鑑定等において、その証拠が皆無であり、被告自身何ら証明もできないのに、次のような趣旨の全く出鱈目なことを、さも真実であるかの如く述べ、同裁判所を欺罔した。

(1) 右刑事事件の事故車両の運転者は原告であり、原告の妻の甲野花子は助手席に乗車していた。

(2) 右事故車両のフロントガラスに人間の頭が当って割れる為には一五Gの力を必要とするので、事故の際の衝撃力、約四G程度では右事故車両のフロントガラスは割れない。

(3) 従って、右事故車両は、着水と同時にフロントガラスが割れて、一気に車内に海水が流入し、そのまま沈んで行ったのではなく、ゴムマリの様に再び海面に水平状態に浮きあがり、海面を舟のように水平状態で数十秒間浮遊していた。

(4) そして、右事故車両のフロントガラスは、その浮遊していた間に、原告がハンマーで叩き割った。

(5) また、右事故車両の助手席の前傾止め金(鉤フック)は、助手席の背もたれに後方から前方へ向けて約八〇キログラムの力が加われば、当該止め金部分が壊れて、助手席座席が前傾する。

(三) 本件鑑定等は、全く誤りであって、科学的根拠に基づかない推測、憶測の無責任、且つ極めて不誠実なものであり、しかも、被告は、過誤ではなく故意にこの誤った鑑定等を行っており、極めて悪質である。

3  福岡高等裁判所は、被告の本件鑑定等を受けて、「乙山春夫(被告)がこのように鑑定しているので、当裁判所はその鑑定に従い、事故車両の運転者を甲野太郎(原告)と認め、事故車両のフロントガラスは甲野太郎(原告)がハンマーで以て叩き割ったものと認めて、甲野太郎(原告)を有罪とする。」などとの誤った判決し、そのため原告は甚大な損害を被った。

すなわち、被告の本件鑑定等がなければ、原告は、同裁判所において「原判決(有罪)破棄差戻しの判決」か「無罪判決」を受けていたであろうことが明らかであり、現在の原告の状態とは、身柄の処遇や世間体及び原告の精神面の負担その他で雲泥の違いがある。

4  よって、原告は被告に対し、右被告の無責任な不法行為によって被った有形無形の損害の一部の賠償、並びに精神的苦痛に対する慰謝料として、五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和六一年一月八日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)(二)のうち、原告がその主張の判決に全面的に不服であるかどうかは知らないが、その余は認める。

2  同2(一)は認め、(二)は争い、(三)は否認する。

原告は、被告が虚偽の鑑定等をして、裁判所を欺罔した旨主張するところ、まず、被告が行った本件鑑定等のうちその虚偽であるという部分の指摘は、あくまで正確になされなければならず、「そのような趣旨のことが述べられている。」などという曖昧なことでは到底許されない。

例えば、「運転者は原告である。(花子が助手席である。)」という点、及び「フロントガラスはハンマーで原告が割った。」という点として原告が指摘する鑑定書の該当部分は、「花子の乗車位置の確定は物理的に可能である。同女は当該車両の助手席に乗車していた。」、「フロントガラスは着水時の衝撃では割れず、着水後、人為的にハンマーで割られたものと思われる。」、「ダッシュボードに残されたキズを上記ハンマーで印象するためには、運転席乗員がハンマーを右手に持って体の左後ろから右前に振らなければならない。」というものであって、原告主張のような記述にはなっておらず、原告の主張中にはこの種の不正確な引用が少なくないが、いずれにせよ、原告のこれらの点に関する主張は、未だ特定されているとはいえない。

次に、被告が本件鑑定等で裁判所を欺罔したという以上、被告に右欺罔の意思と行為があった(且つ、請求原因4では、その結果裁判所が錯誤に陥り、誤った判決をした)、ということでなければならないが、どのような事実によって被告に右欺罔意思と行為があったといえるのか(或いは、裁判所が錯誤に陥ったといえるのか)、被告の再三の釈明要求にも拘らず、結局明らかにされていない。

3  同3・4は、いずれも争う。

福岡高等裁判所の判決は、本件鑑定等を拠りどころとするまでもなく、「原判決の挙示する関係証拠によれば、原判示第一の罪となるべき事実はこれを認めるに十分である。」と明示したうえ、他の数多くの証拠資料を加えてさらに検討すれば、「無傷であった被告人(原告)が本件車両の助手席に乗車していたことはありえず、同席には花子が乗車していたこと、本件車両を運転していたのは被告人(原告)であり、しかも、被告人(原告)は運転を誤って転落したものではなく、予定のコースを走行し、予期したうえ同車を海中に突入させ、同車の着水時に両手と両足を同時にハンドルとフロアに密着させ突っ張って着水時の衝撃による自分自身の慣性と後部座席の春子が飛んできたショックとを支え、その後同車フロントガラスをハンマーで割ったうえ、右フロントガラスのあった場所から車外に脱出したものであることが明らかである。」と判示している。

これを要するに、右判決は、原判示第一の罪となるべき事実につき、被告の本件鑑定等をまつまでもなく、原審裁判所の取調べた証拠によって認定することができ、それが控訴審でより詳細に解明されたことについても、本件鑑定等のみを根拠にしているのではない、というのであり、「乙山春夫(被告)がこのように鑑定しているので、当裁判所はその鑑定に従う」などという判示は、右判決のどの部分にもない。

なお、もともと鑑定は、「裁判所が裁判上必要な実験則等に関する知識経験の不足を補給する目的でその指示する事項につき第三者をして新たに調査をなさしめて法則そのもの又はこれを適用して得た具体的事実判断等を報告せしめるものである」が、その鑑定結果を採るか採らないかが当該裁判所の自由な判断に委ねられていることはいうまでもなく、「鑑定人の鑑定結果が裁判所の事実認定にそのまま直結する」などという原告の主張は、裁判所の責任ある判断を冒涜する非常識な見解である。

また、被告の本件鑑定等がなければ、原告が「原判決破棄差戻しの判決」か「無罪判決」を受けていた、という原告の主張も、何ら合理的根拠のない勝手な理解であるが、仮に百歩譲って、そのような判決があったとしても、検察側の上告により上告審の審理が行われる結果になったことは十分考えられるところであり、いずれにせよ、被告の本件鑑定等が「現在の原告の状態」なるものを生じさせた、などという主張は当たらない。

三  被告の主張

1  本訴請求は、原告が主張の刑事裁判の審理過程で本件鑑定等に対する反論を尽したうえ、裁判所から示された原告の刑事責任に関する判決による判断につき、必然的にその判断を変更することを内包する裁判上の主張を、当該刑事裁判手続での上級裁判所への不服申立と別に、本件鑑定等をした被告の私法上の責任を追及するという形でなそうとしているものである。

2  本来鑑定人は、依頼された鑑定事項につき、自己の学識経験に基づいて誠実に解析を行い、その結論を裁判所に伝えることをもって任務を終了するものであり、一方、裁判所は、その鑑定を心証形成の資料としつつも、判決の言渡しは何ら鑑定人の判断に拘束されることなく、専ら裁判所の権限と責任において行うのである。

3  裁判所が鑑定内容と符合する事実認定を行った結果、期待に反する判決に逢着した訴訟当事者が、その鑑定をした鑑定人に私法上の責任を問いうるという考え方は、裁判所の事実認定に不服のある者が、当該裁判所に証拠を提供した者の責任を追及することにより、事案の実態と責任の所在に関する裁判所の判断の変更をくり返し求め得るという論理を前提とするものである。

しかし、訴訟法は、誤判を正すために審級制度や再審制度を設け、判決の結果に不服のある者に、適式の不服申立てを行うことによって、裁判所の判断の是正を求める途を開いているが、そのことは同時に、判決の既判力や審級制度や再審制度などを実質的に無視し、崩壊させてしまうことのないよう、不服申立てを原則としてこれらの方法に限っているものと考えなければならない。

そうでなければ、裁判所の事実認定に不服のある者は、当該裁判所に証拠を提供した者など裁判関与者の責任を追及することにより、事案の実態と責任の所在に関する裁判所の判断の変更をくり返し求め得ることになって仕舞うからである。

4  原告の本訴請求は、右の原則に全面的に抵触するものであり、主張自体失当である。

四  原告の反論

1  原告の本訴請求は、被告の本件鑑定等に対する福岡高等裁判所の評価の誤りや、同裁判所の判決の誤りについて行っているのではなく、不誠実且つ出鱈目な本件鑑定等の不当性についての被告の責任を問うているものである。

2  原告に対する福岡高等裁判所の判決は明らかに誤りであり、それ故原告も上告しているのであるが、本訴請求は、右判決の誤りを前提にするものではなく、本件鑑定等で原告の名誉を毀損した被告の不法行為責任を追及し、損害賠償を求めるものであって、仮に右判決が本件鑑定等を採用せず、正しい結論を出していたとしても、被告に右不法行為責任があることに変りはない。

3  被告は、鑑定人の鑑定等と裁判所の判断が別々であるかのように主張するが、およそ被告のような学識専門家への鑑定要請は、裁判所自身で判断できない事項につきなされるものであり、その鑑定結果が裁判所の事実認定に直結し、それを左右するであろうことも容易に推測されるところである。

従って、裁判所の事実認定が鑑定結果と符合するものになったとしても、それが裁判所の権限と責任であって、鑑定人の関知するところではない旨の被告の主張は、鑑定の重大性と鑑定人の責任の重大性を弁えない暴論である。

4  また、被告は、裁判所の事実認定の結果が訴訟当事者の期待に反したとき、その当事者が鑑定人等訴訟関与者の私法上の責任を追及することが不都合である旨主張するが、訴訟当事者の期待がどのようなものであれ、虚偽の鑑定をし、虚偽の証拠を提出した者の責任が厳しく問われるべきことはいうまでもなく、その虚偽の鑑定等のため被害を受けた者がある場合、鑑定人等がその被害者に対する私法上の責任を負うのは当然である。

5  鑑定人が誠実且つ真正な鑑定をすべき義務に違反し、虚偽の鑑定を行った場合、虚偽鑑定罪として刑事罰の対象になることはいうまでもないが、それと共に、民事上も不法行為責任を負うものであり、その場合、その虚偽であることが鑑定を委嘱した裁判所に発覚すると否とにかかわりなく、刑事訴追され得るのと同様、民事上も、右虚偽鑑定の事実が露見したり確定したりするのをまつまでもなく、訴えを提起し、責任を追及できるとするのが我国の裁判上のルールである。

すなわち、「刑事々件のみ、当該裁判所でその虚偽鑑定であることが明らかにされない限り、刑事訴追や民事訴追を免れるとか、民事上の損害賠償責任を免責される。」といった例外的な法律の定めはないのであり、鑑定人が虚偽の鑑定等をしても、当該事件の判決に対する上訴等の不服申立以外に、その責任を追及し得ない旨の被告の主張は失当である。

第三証拠《省略》

理由

一  原告が福岡高等裁判所昭和五五年(う)第三八七号殺人等被告事件の被告人であり、同裁判所から右被告事件について有罪判決を言い渡され、現在最高裁判所に上告中の者であること、

被告が成蹊大学機械工学科教授であって、右原告の刑事々件につき福岡高等裁判所から鑑定を委嘱された者であり、昭和五七年一一月一五日同裁判所に鑑定書を提出し、また、その後同裁判所で右鑑定に関連する証言をしたこと、

以上の事実は当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》によると、原告に対する福岡高等裁判所の同庁昭和五五年(う)第三八七号殺人等被告事件の判決理由の骨子は、

「被告人(原告)は、交通事故を装って被保険者を殺害し巨額の保険金を騙取しようと企図し、殺害対象者にする者を物色し、同殺害対象者である被保険者とする意図をもって、昭和四九年八月一日花子と結婚するとともに、その子である春子、夏子ほか一名と養子縁組を結んだ後、まもなく同年九月二日から同年一一月五日までの間に、花子、春子及び夏子が本件車両に同乗中交通災害により同時に死亡した場合の保険金総額が三億一〇〇〇万円にものぼる生命保険契約等を締結したうえ、同月一七日ドライブと称して本件車両に花子、春子及び夏子を乗せて連れ出し、同日午後一〇時過ぎ頃、かねての殺害計画を実行すべく、同車助手席に花子、後部座席に春子及び夏子を乗車させたまま同車を運転して別府港岸壁から海中に突入させ、自らは同車着水後フロントガラスをハンマーで割って車外に脱出し、花子、春子及び夏子を同車もろとも海底に転落させ、よって直ちに右三名を溺死させて殺害した。」というものであることが明らかである。

三  《証拠省略》によると、

被告が福岡高等裁判所から委嘱されて行った鑑定の鑑定事項は、「(1)、本件普通乗用自動車(ニッサンサニーダットサン、箱型一〇〇〇cc、昭和四三年式二ドア)のフロントガラスが割れた原因及び時期。(2)、甲野花子の受傷部位及び形状と上記自動車の損傷の部位及び程度の関係等からみて、同女の乗車位置の確定が可能か。可能であるとすれば、当該乗車位置及びその自動車事故工学的根拠。」であり、

同じく、その鑑定書に記載されている鑑定結果は、「(1)、フロントガラスは着水時の衝撃では割れず、着水後、人為的にハンマーで割られたものと思われる。(2)、花子の乗車位置の確定は物理的に可能である。同女は当該車両の助手席に乗車していた。」というものであること、

及び、右鑑定書には、事件現場での三台の実車による実験の結果を含め、右鑑定結果の結論を導く過程が詳述されているところ、そのうち請求原因2(二)(1)ないし(5)の指摘に相応する部分として、

「一号車と二号車は着水してからしばらく浮いており、車全体が水面下に沈むまでにそれぞれ七三秒および五〇秒かかったが、三号車は着水して一五秒程度で沈没した。沈没する時間がこれ程大幅に異なるのは、着水したときに前部ガラスが割れるか割れないかによる違いである。車両は着水時に速度があるから慣性によって平衡状態より深く沈み、次に浮力により平衡状態を通過して浮かびあがり、遂には平衡状態に達する。……これはちょうど水に浮くはずのゴムまりをつかんで水面下に沈め、手を離すと水面から一時飛び上がった後、最終的に水面に浮かぶと同じことである。すなわち着水直後かなり水面下に車両が入るから、そのときに前面ガラスが割れているかいないかにより多量の水が室内に進入するかしないかが異なり、したがって沈没するまでの時間が大幅に異なるのである。」

「一号車と二号車には助手席に女性ダミーを乗せたが、着水時にダミーはダッシュボードに衝突しても頭部が前部ガラスに届かず、したがって前部ガラスは割れなかったのである。……これに反し三号車で助手席に乗せたダミーは男性ダミーで、着水して一たん深く沈んだとき頭部が前部ガラスを破壊し、そのため大量の海水が一度に車内に流入したため、わずか一五秒程度で水没したのである。」

「……いずれの実験でも、模型実験と実車の変形から予測されたように、着水時の衝撃は約四G程度であった。……この測定値は三台の実験車についてほゞ同じである。」

「助手席背もたれ止め金部分の強度とそれが破壊した場合にどの部分がどのように損傷するかを調べるため、……に示したような装置を用いて破壊実験を行った。……実験結果から、止め金そのものは破壊せず、止め金が噛み合うレールの部分がめくれ上がり、約八〇キログラムで破壊している。本件車両の後部座席乗員の体重は約四五キログラムであるから、約二Gの衝撃力が加われば、同人が後ろから衝突することにより前部座席の止め金の挿入されているレールが破壊することになる。」

「……で述べた実車実験により明らかにされたことは前部ガラスは着水の衝撃では割れない。後に述べるようにガラスは着水後、人為的に割られたものであるから、………」

「……本件車両助手席背もたれの止め金は車両が海中に飛込んだ着水時に破損したことが分る。そのように背もたれが前傾すると居住空間はなくなり、助手席乗員が負傷しないということはありえない。したがって、無傷であった被告人(原告)が助手席に乗車していたことはありえず、花子が乗車していたことになる。」

「……運転していたのは被告人(原告)という結論になるが、同人が何ら負傷をしていないということは、あらかじめ身構えていたと言わざるをえない。」

「ダミーを用いた実車実験によっても明らかなように、乗員の頭部が前部ガラスに衝突してガラスを破壊するときの衝撃加速度は一五G程度の大きなものであるから、頭部前面または顔面にはかなりの損傷を被るはずであるのに、花子はそのような負傷を被っていない。」

「……花子と同体格の女性ダミーを乗せた場合には、前傾しても頭部が前部ガラスに届かず、着水時にガラスが破壊することはなかった。このことも花子の頭部が当って前部ガラスが割れたのではないことを裏づける。ガラスが割れないと着水時に大量の水が車内に浸入せず、したがって実車実験からも分るように、車両はいったん水面に起き上がり、しばらく水平の姿勢を保つ。」

「……で述べたように、ダッシュボードの上面中央付近には前方に向かって表面をこすったキズがあり、しかもこすった物体はガラス止め金を外に曲げているから、物体は表面をこすった後、ガラス枠の外まで運動したことが分る。……ダッシュボードに残されたキズを上記ハンマーで印象するためには、運転席乗員がハンマーを右手に持って体の後ろから右前に振らなければならない。」

等の箇所が認められる。なお、被告が右鑑定等に関連して福岡高等裁判所で行った証言の内容については、確認するに足る証拠が存しない。

三  原告は、被告の本件鑑定等の内容が虚偽であり、不誠実且つ出鱈目であって、原告に対する不法行為を構成する旨主張し、被告は、右内容虚偽、不誠実等の点を否認したうえ、裁判当事者が鑑定等とそれに符合する判決の結果に不服の場合、判決に対する上訴、再審等定められた不服申立の方法によるべく、法定の不服申立方法以外の手段、すなわち原告の本訴請求のように、鑑定人の私法上の責任を追及する形で、前の判決裁判所の判断の実質的な変更を求めるようなことは許されず、右原告の主張が主張自体失当である旨主張する。

そこで、まず、右被告の主張につき判断するに、訴訟事件の鑑定人、或いは鑑定人に限らず、証人、書証の供述者、作成者等すべての裁判関与者の行為は、判決その他裁判の結論に向けられているものであるから、鑑定人の鑑定内容等裁判関係者の行為に不服の訴訟当事者は、判決に至るまでの訴訟手続上認められている攻撃防禦の手段に基づき、また、右鑑定等に符号する判決がなされたのちも、上訴、再審等法定の不服申立方法によって、その鑑定内容等を争うべきであり、そのような方法によって争う手段が尽きた場合、その確定判決の判断が尊重される結果、別の訴訟によって当該鑑定人ら訴訟関与者の私法上の責任を追及する形で、紛争のむし返しをすることは原則として許されないと解するのが相当である。

蓋し、当該訴訟事件の訴訟手続、或いは上訴、再審等法定の不服申立と別に、鑑定人等裁判関与者の行為に対し別訴で私法上の責任を追及し得るとすれば、被告主張のように、当該訴訟事件の訴訟手続や判決、上訴、再審等と離れて、実質的に当該訴訟事件裁判所の判断の変更を求めることが許されることになり、右法定手続を事実上無意義ならしめかねないからである。

従って、訴訟当事者が当該訴訟事件の判決確定後、或いは確定前であっても、鑑定人の鑑定結果等、判決成立過程の裁判関与者の行為に不正があるとして、当該鑑定その他の証拠及びそれと符合する判決等と相反する事実関係を前提に、鑑定人ら裁判関与者の私法上の責任を追及できるのは、当該鑑定等が直接的な権利侵害を伴うものであるとか、当該鑑定等につき虚偽鑑定罪等の有罪判決が確定している等、明らかに公序良俗違反の事実があるような例外的場合に限られると解すべきである。

四  しかるところ、右の点を本件についてみるに、被告の本件鑑定の鑑定事項は、前示のように、本件事故車両のフロントガラスが割れた原因及び時期、甲野花子の乗車位置の確定が可能かどうか、可能の場合の乗車位置とその自動車事故工学的根拠、というものであって、前示鑑定結果及びそれに至る過程についての論述中原告の指摘に関連する部分も、それ自体原告に対する直接的な権利侵害を伴うものではない、といわなければならず、本件鑑定等につき、被告が虚偽鑑定罪等の有罪判決を受けているような事実関係の主張立証がなされているわけでもない。

また、原告は、本件鑑定等が出鱈目であり、科学的根拠に基づかない推測、憶測の無責任、且つ極めて不誠実なものである旨主張するけれども、本件鑑定書の写である《証拠省略》のうち、最下段四行注書の部分を除く、原本の存在及び成立に争いがない部分を検討してみても、少なくとも本件鑑定書が原告主張のようなものであるとは認められず、他に本件の全証拠によっても右原告の主張を認めることはできない。

なお、《証拠省略》は、前示福岡高等裁判所の判決後、同判決の事実認定等に関する識者の見解や新聞社の社説、解説等を掲載した新聞記事であり、《証拠省略》は、同じく識者の一人から原告に宛てられた、被告の本件鑑定書に批判的な意見を記述した書簡であるが、これらはそれだけで右原告の主張事実を証明するに足る証拠とは認め難く、

更に、《証拠省略》によると、原告は、被告の本件鑑定等を右主張のように考えている根拠につき、被告本人尋問により直接主張事実を立証する予定であって、事前にそれを明かすことはできない、というのであり、原告が本件鑑定等につき右のような主張をしている根拠そのものも、未だ明確とはいい難い。

五  以上のとおり、原告の本訴請求は、右の点で理由がなく、失当として排斥を免れないので、爾余の争点に対する判断を省略して、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中貞和 裁判官 大谷辰雄 河東宗文)

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